今日も葬場祭、つまり告別式で矢切に行ってきました。
式はセレモニーホールで行われたのですが、神式のあっさりした儀式に比べ、ホール側の過剰とも言うべき「悲しみの演出」には辟易とします。
かつて葬式は家族と地域の結びつきの中で行われてきたように思います。祖母が亡くなったときはご近所の人にお手伝いをしていただき、伯父も「しんみりしていたんじゃ仏も悲しがるよ。思い出話をして陽気に送ってやるのが功徳なんだから」とお清めの席で言いながらガンガン呑んでいました。
その伯父がお酒の呑みすぎで亡くなったときは、町内会の長を務めていたこともあって、消防団(!)が全てを仕切り、座布団、コップお醤油の皿に至るまで、全て自己調達でありました。お酒、寿司、料理は消防団が状況を見ながら発注し、注文を受けた方も「あそこは葬式だから」と超特急で配達してくるという、ある意味でみんなが葬式慣れしていたのです。お祭りと一緒で地域の行事のひとつだったのです。
東向島(旧・寺島町)という地域性もあったのでしょうが、その一致団結した姿には感動すら覚えました。
つまり葬式はまわりの人がみんなで出してあげていたのです。だから悲しさが半分、慌ただしさが半分という、実にバランスのよい儀式だったのです。
いつの間にかセレモニーホールのような斎場が主流となり、だれも葬式を手伝うことが出来なくなってしまいました。世の中が変わって、ご近所づきあいもなくなり、だんだん自らの手で人を送ってあげられない時代になってしまいました。
ちなみにボクの会社はまだ家族的なところが残っていて、葬式の時は本人の了承さえあれば、誘導、受付、下足番、お清めの仕切りまで社員がやります。葬式の手伝いをするということは100万円の香典よりも功徳があるような気がします。