台湾の、ちょっといい話

戸板康二のタイトルを借りました。

先週の金曜日から家人と半年ぶりに台湾に行ってきました。
今回は二度のアクシデントに遭遇、そのおかげで台湾の人々の機微に触れることが出来ました。

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最初は台南から高雄に行く在来線急行(自強号といいます)での事故です。

台湾の新幹線駅は台北駅以外は市の中心部から離れたところにあり、台南・高雄間は新幹線より在来線の方が早いのです。
事故が起きたのは高雄まであと15分というところでした。列車がゆっくりと停車し、間もなく車内アナウンスメントが流れました。
残念ながら台湾華語のみで、周囲に英語、日本語を話す人がいなかったので、しばらく様子をみることにしました。
というのも乗客は特に慌てる様子もなく、スマホで「遅れるから」みたいな電話をしている程度だったからです。
しかし30分くらいすると窓の外に鉄道関係者の他に警察関係の姿も見え、えっ?、人身事故?と、ちょっと気になり出しました。
何度かアナウンスメントがありましたが、乗客は相変わらず落ち着いた様子で、運転再開を待っているように見えました。
1時間経ちました。
日本であれば舌打ちやクレームが出てもおかしくない状況です。
しばらくすると隣の線路に電車が止まり、またも車内アナウンスメント。その途端乗客が立ち上がりました。英語が苦手な大学生が、隣の電車に乗り換えるのだと指で教えてくれました。
乗客は整然と後ろの車両に移動し始めました。誰も割り込んだりしません。
最後尾の車両にさしかかった時、ようやく状況がのみ込めました。踏切で車と衝突したのです。
しかし、だれひとり騒ぐことなく、最後まで整然と行動する人々をみて、日本人が失ったものを見せつけられたような気がしました。

二回目は高雄の旗津半島でのアクシデントです。
まぁ、アクシデントというよりは単なる不注意なのですが・・・
旗津半島へはMRT(地下鉄)の終点、西子湾からフェリーで渡ります。
ここは北緯22度33分、南シナ海に面した高雄有数の海水浴場で有名なところです。
従って5月とはいっても暑いわけでして、ぐるっとひと回りした後、かき氷屋さんに入ったのです。
ボクはマンゴーと練乳を凍らせたものを、家人は小豆系のものを注文しました。
その後、帰りのフェリーの中で事件は起こりました。

財布がない・・・

家人が青ざめて、いたら殊勝なのですが、無機質な感じでポツリ。

おいおい・・・

1000台湾ドルと2千円(と本人はボクに申告しましたが)、それにクレジットカード2枚が入っていたというのです。
家人が財布を出したのはかき氷屋さんだけです。(安いところでは家人が支払います)

仕方ないな・・・
戻ろう。

と、再度旗津半島へ。とは言っても10分程度なのですが。
かき氷屋さんに行くと、店員さんがニコニコしながら交番に届けたから、みたいなことを片言の英語で説明してくれました。
店から交番までは1分。交番と言うより駐在所といった方がぴったりくるかも知れません。
入っていくと、おぅ来たか、来たか、みたいな感じでにこやかに迎えてくれました。
こちらへ、と手招きされ、調書を取るためと思われるデスクに行こうとすると、その先のソファーに座れと言うのです。
駐在所長とおぼしき人と、若手の巡査の立ち会いで財布のチェックです。
とは言っても彼らは華語のみなので、コミュニケーションがやや怪しい感じです。
パスポートはホテルのセイフティに忘れてきたので、家人はIDに相当するものがありません。運良く別のクレジットカードを持っていたので、それを見せて、とりあえず本人確認はOK?みたいな状況にはなりました。
それでも、いま日本語を話せる人を呼んだからと、スマホの翻訳アプリで伝えてくれたので、少し待つことに。
その間、所長さん自らお茶を入れてくれ、盛んに勧めてくれます。
若い巡査は、この間大阪に行ってきたと、スマホの写真を見せてくれたり、まさに歓待ムード一色なのです。

あれ?なんか変。

と思っていると、老婦人が現れました。駐在所に来て既に15分くらい経っていたでしょうか。
所長さんと巡査が、よかった、よかった、ちょっと日本語できいてみてよ、みたいなことを言っています。
老婦人が片言の日本語で聞いてきました。

あなたたちは旅行ですか。
どこから来たの。
どこに行ったの。
どこに泊まってるの。

「捜査」と関係ないことばかりです。

お名前は。
いいお名前ね。

こちらも負けじと、

ボクの名前は華語で何て言うのですか。
日本語が上手ですね。

とか聞いたりして・・・

30分!ばかり雑談をした後、財布を受け取るのに書類はいるのか聞いてみると、書類もサインもいらないと言うのです。
あれっ?
ということでおいとますることにしたのですが、家人が皆さんがあまりにも親切なので記念撮影をしたいと言い出しました。
老婦人は、いいわね、じゃぁみんなで撮りましょと、所長さんも自分のスマホで撮ったりして・・・

聞けば老婦人は7歳まで日本の教育を受けたとのことでした。片言とはいえ、70年前に習った言葉を忘れていないのは立派です。
また所長さん、若い巡査がこの老婦人を立てている様子がとても好ましく、ほほえましく思えました。

今回の台湾旅行、これ以外にもちょっといい話が結構ありました。
それに台南や高雄では「私たちは台湾人です。中国人とは違います。」という言葉を多く聞きました。HEROに出てくる田中要次(「あるよ」という役者さん)みたいな強面の運転手のタクシーに乗った途端、日本の演歌をかけてきたり、結構嬉しかったです。

台湾の人々のメンタリティを理解する上で、李登輝氏のインタビューは参考になるかも知れません。

<以下、引用>

今年3月13日、東北の大学生30人余りが東日本大震災時の日本支援に対して台湾に感謝を述べに来た。その学生たちを前に、私は次のような話をした。

「日本は半世紀にわたって台湾を統治しました。この間、もっとも大きな変化は台湾が伝統的な農業社会から近代社会に進化させられたことです。日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入したのです。また新しい教育制度が導入され、近代的な国民意識が培われました。やがて台湾人は自らの地位が日本人に比べて低いことに気付きます。ここに『台湾意識』が芽生えました。『台湾人の台湾』という考えが生まれ、これが国民党に対抗する力となったのです」

台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を統治していた日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。これに対し、豚は食い散らかすだけで何もしない。大陸から来た中国人に比べれば、日本人のほうがはるかにましだったという、台湾人の考えを表した言い方である。

また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神(リップンチェンシン)」というものがある。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す言葉である。じつはこの言葉が台湾に広まったのは戦後のことで、当初は大陸から来た国民党の指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したものだ。台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は完全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。
台湾人の親日にはこうした歴史的背景があるが、これまでその思いは一方的なものにすぎなかったのかもしれない。戦後になって、戦前の歴史をすべて捨てた日本人は、「台湾のこと」も忘れていたように感じるのである。
(VOICE 2013年5月号掲載)
『Voice』2013年5月号

2016年5月26日 | カテゴリー : joy, people | 投稿者 : Singer