ドライ・マティーニをください

彼女の名前を、仮に「友子さん」としよう。友子さんは高校を卒業後、美術専門学校でグラフィック・デザインを学んだ。特に何になるという夢はなかったが、小さい頃から絵やポスターを描くことが好きだった。小学校6年の時には、学校から応募した「明るい選挙啓発ポスターコンクール」で入賞したこともあった。
友子さんは、5年間、制作プロダクションで働いたが、最後の1年はデザインより、むしろ営業活動のほうが中心だった。会社も大分怪しくなったこともあり、デザイナー生活に見切りをつけて、今はバーテンダーとして修行中の身だ。
彼がその店を訪れたのは、10ヶ月前だ。ビルのすき間に小さな入り口があり、左手に8人がけのカウンター、右手には4人がけのテーブルが2つ並んでいる。その時、友子さんは狭いカウンターの中でマティーニを作っていた。
彼、木村雄一の父は戦後まもなく、銀座8丁目の裏に「Busy Bee」という店を構え、バーテンダーの草分け的な存在として知られていた。
彼が店に入った時、友子さんはドライ・マティーニを作っていた。学生の頃、父の店でアルバイトをしていた彼は、ステアする友子さんの流れるような動作に目を見張った。
『この人は父の子ではないのか?』
そう思えるほど、無駄のない、美しい動作だった。彼が決して受け継ぐことが出来なかった、父と同じ『魔法の手』がそこにあった。
「僕にもドライ・マティーニをください。タンカレで」
友子さんはミキシング・グラスに大小の氷を4つ入れ、ステアして冷やした。新しい氷を入れ直してからベルモットを注ぎ、リンスした。彼の父の時代の作り方だ。今ではミキシング・グラスを冷やすためにミネラル・ウオーターでリンスし、しかも氷を取りかえないところが多い。
ジンとベルモットは3:1の割合だ。タンカレの粗さを十分に心得た作り方だ。美しくステアしてからカクテル・グラスに注ぎ、オリーブを加えてから、最後にレモンピールをとばして仕上げた。
素晴らしい出来映えだった。
マティーニはステアがすべてだ、と父から聞かされていた雄一は、彼女の動作の理由が知りたくなった。それから月に2,3回ずつ通うようになった。
結局、友子さんは父の忘れ形見でも何でもなく、その魔法の手は、天が与えたものであることも判明した。
彼女はバーテンダーはデザイナーだと言った。様々な要素をコーディネートしながら、人間の感性に訴える仕事だと。
12月のある夜、雄一は友子さんの店を訪れた。
カウンターの端に座った彼はお気に入りのマティーニを注文した。
「ドライ・マティーニをください。タンカレでね」

2003年12月5日