フランス・ギャルを 聴きながら

ボクはパリの「友人」が送ってくれた写真をぼんやりと眺めていた。

クライアントへのプレゼンは来週に迫っていたが、アイディアがまとまらないまま時間だけが無為に過ぎていった。
いまボクが手がけているCFのコンセプトは、フランス・ギャルだ。60年代のフレンチ・ポップスのもうひとりの象徴を使って、団塊の世代に迫っていくというものだ。シルヴィ・バルタンがあちこちで使われているのに比べ、フランス・ギャルは現在ほとんど使われていない。
この数週間、ボクはフランス・ギャルの写真が何枚も貼られた事務所で、毎日彼女の歌を聴きながら過ごしてきた。しかしどうも彼女の実体ががつかめないでいた。ただ言えることは団塊の世代の、ちょっと尖っていた人たちにとっては相変わらず宝物であり続けているということだけだ。

そんなときパリからその写真が送られてきたのだ。送り主は長いつきあいの女友達。一度は一緒に暮らしたことがある人だ。この仕事を受けたとき、何か資料になるものがあれば送ってほしいと彼女にハガキを書いたのだ。
彼女から送られてきた写真は、パリの街角の若いカップルを撮ったものばかり。手紙もなく、何だか謎めいていて、朝からずっとその写真を眺めていたのだ。このところの習慣でフランス・ギャルのCDをかけ、カフェオレを飲みながらぼんやりとその写真を眺めているとき、フッと別のことが頭をよぎった。それはボクと彼女の関係だ。

ボクたちはミッション系スクールの初等部からの同級生で、高等部の頃にはステディと言ってもいい関係だった。まるで兄妹のように、いつも一緒だった。少なくともボクたちが結婚生活をやめるまでは。

彼女が撮ったカップルはかつてのボクたちの姿なのだ。そしてボクたちは、「夢見るシャンソン人形」の本当の意味、つまり余興で登場する「唄う蝋人形」ではなくて、本当の人間だったと言うことを、彼女は言いたかったのだと思った。

ボクたちが別れたのは、一緒にいることが楽しくなくなったからだ。結婚するまではあんなに楽しかったのに。それはボクたちが人間だから。
彼女はそう言いたかったに違いない。そうだ、ボクたちは生身の人間だ。「蝋人形」ではない。ましてや「シャンソン人形」でもない。夢を見るのは人間だけなのだ。

見えた!とボクは思った。
もう絵コンテは描ける。
その前にと、ボクは思った。
もう一度夢を見るなら、彼女とかな・・・、と。

2005年3月23日