彼女は彼女。

 ボクは新商品のブランドコンセプト作りのために、青山にある246を見下ろす会議室でワークショップ形式の作業を行っていた。参加者はいくつかのグループに分かれ、ブランディング・エイジェンシーのスタッフが各グループに加わり作業をまとめていくというやり方だ。
 ボクのグループに加わったスタッフは20代の女性で、『恵里さん』という名前だった。ボクは大学時代に、恵里という、同じ名前の女性と付き合っていたことがある。だから『恵里さん』という名前には何となく惹かれるものがあった。名前だけではなく、体型を含めて恵里の雰囲気に似ていて、特にセミロングレイヤーのヘアスタイルにはハッとさせられたりした。

 ボクが恵里と付き合うきっかけになったのは、バーナード・マラマッドの「The Assistant」を教材にした講義だった。ある日、ボクが講師から指示されたパラグラフを訳していた時のことだ。
 「食事はちゃんとしたの」という母の問いかけに、娘は「I don’t save my menu.」と答えるのだが、それをボクは「食事を抜いたりしないわ」と訳した。それに対してその講師は、文字通り「メニューなんかとっておかないわ」という意味だと訂正した。するとゼミが一緒だった恵里が手を挙げてボクの訳を支持する意見を述べた。続いて何人かがボクの訳を支持してくれた。帰国子女の多いクラスだったこともあり、その講師は説得力のある説明が出来ず、面目は丸つぶれとなってしまった。何しろ講師自身がその小説の日本語訳を手掛けていたのだから、大変なショックだったに違いない。その証拠に残りの講義はほとんど休講となってしまったくらいだ。この事件をきっかけに、ボクは恵里と親しくなった。そしてこの休講のお陰でボクたちは定期的に会う時間が出来た。大学のある青山を中心に、時には六本木まで出かけたりした。その結果ボクたちの関係はかなり親密になった。
 4年生の夏休みを、恵里は故郷の高知で過ごすことになった。将来のことを両親とゆっくり話すためだと言った。ボクにとって恵里に会えない夏休みはとても長く恨めしいものだった。夏休みをそんな風に思ったのは後にも先にもこの時だけだ。そして卒業と同時に、恵里は高知に帰ってしまった。恵里が教えてくれた実家の住所を、ボクはうかつにもなくしてしまい、いつか友だちに聞こうと思いながらそれきりになっている。

 『恵里さん』は後ろから見ると恵里と間違えそうなくらいだ。ただ『恵里さん』は「ガッツリ」とか「ぶっちゃけ」とかいう若者言葉を多用するきらいがある。小さな仕草も恵里とは違うことに気づいた。
 当たり前のことだ。
 彼女は彼女なのだから。

2006年11月16日