一世を風靡した、ということよりも、それまでの世の中の旧い考え方を蹴飛ばしたと言った方がいいでしょう。
紅白に色物的なグループが出るのも異例なら、それまでの厳粛な雰囲気を「ぶち壊した」のも痛快でした。
彼の「無責任男」のイメージを決定づけた映画が、「ニッポン無責任時代」です。
主人公の名は平均(たいら・ひとし)。現在東京FMでやっている「あ、安部礼司」と共通する部分ですが、インパクトはまるで違います。
既成概念の破壊が植木等に与えられたイメージなのですから。ハナ肇のキャラと相まって、素晴らしいシリーズでした。
本当の意味で高度成長期のシンボルが消えてしまいました。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/tohoscope/musekijida01.html
http://www.youtube.com/watch?v=PekaW1p2d7k
http://www.youtube.com/watch?v=ZOCjDe6Z54k&mode=related&search=
カテゴリーアーカイブ: sorrow
先輩の業績を見直す
先日亡くなった先輩が手掛けたウィンドウ・ディスプレーのポジフィルムを見直しています。
若いときは若いなりに荒削りな時代があったことを再認識しました。人は進歩していくのです。
1977年にデザインした人魚はいい例です。今のボクから見れば、今ひとつの出来映えです。先輩が生きていたら、このボクの評価に対して何と言うでしょうか。
20年前なら笑いながら「生意気なことを言うんじゃないよ」と言ったでしょう。
でも今なら「オレも若かったな」と言うでしょう。
以前、先輩のプロフィールを書くことになったとき、
「受賞歴なんか関係ないよ。今どうか、ということだよ。今。」
と全くとりつく島もありませんでした。と同時に自分の受賞歴をほとんど覚えていなかったことも確かです。
それは常に新しく変わり続けていくという意欲と自負の現れでした。それこそが彼の生き様そのものだったような気がします。
先輩を送った
先輩は、制作部門で送ろう!とみんなで決めました。
ライン課長が道案内に立ち、ボクらも受付に立ちました。
弔問に来てくださる皆さんが、流石だね、と言ってくださいました。
それは先輩が流石なのであって、ボクたちはいつも大好きなこの先輩に導かれていたのです。シャイな先輩だからこそ、総務や人事ではなく、いつも先輩を慕っていた後輩たちで送ろうと決めたのです。それは指示や打ち合わせをしたわけでもなく、自発的に参加してくれたのです。
「みんな、ありがとう」という先輩の声が聞こえてきます。
そういうところは結構素直に、スッと言える人でしたから。
実は通夜の時は涙が出ませんでした。先輩はこのひと月で別人の様に痩せ衰えたので、本人を見てもどうも実感がありませんでした。
告別式の最後のミサで神父様が弔電を読み上げた時、ああ、やっぱり死んでしまったんだと思ったら、急に涙が出てきました。後輩たちもしゃくり上げるように泣いていました。泣くなよと言いながら、口元が痙攣していました。
会社から言われるまで、先輩の机はそのままにしておくことにしました。書籍類や電卓やペンや、みんな、そのままです。まるで海外出張に行っているようです。
整理するなよ、とボクは言ってあります。そのままで、明日帰ってくるようにしておくように言ってあります。
それにしても、とても悲しいです。ボクは、本当に悲しいです。
john
ボクたちで送ってあげたい
昨日亡くなった先輩の通夜、葬儀の段取り、関係者への連絡を済ませました。本来,社員の葬儀は総務部が全て取り仕切るのですが、今回は先輩が永く所属した制作の連中で仕切ってあげようと言うことになりました。
連絡をしたら、みんな仕事をキャンセルしてボクからの連絡を待っていました。涙が出ました。
それに関係者は、OB、取引先を含め、既に連絡済みでした。何と言うことでしょう。
さらにボクは海外の責任者に連絡をしました。五番街の店をはじめ、海外店舗のディレクションはこの先輩によるものです。まさにグローバルで認められていたデザイナーでした。企業内デザイナーでしたから話題にはなりませんでしたが、フリーランスでも彼ほど海外で実績を上げている人はいません。仕事柄海外のデザイナーを起用することもありました。ただアートディレクターとして、彼は最大の尊敬を受けていました。卑屈にならず、かといって肩肘を張らず、ごくごく自然体でディレクションをしている姿を、ボクは本当にカッコイイと思ったものです。
昨夜は高校の同級生と忘年会でした。酔いたいと思って沢山お酒を呑みましたが、こういうときは酔えないものです。
今夜も沢山呑みました。何だかやり切れません。
先輩が逝った
かねてより肺ガンで闘病中の先輩が、今朝亡くなりました。61歳は若すぎます。
ひと月ほど前にいったん退院し、自宅で療養しているはずでしたのでとても驚きました。
この先輩にはボクがPRマンとして駆け出しの頃から随分とお世話になりました。
ブランドとは何か、ブランドコミュニケーションとは何かと、まさに仕事を通じて教えていただきました。
企業にあってこれほど優秀で、コマーシャルバランスに優れたデザイナーをボクは知りません。
数ある受賞デザインの中でも、タイタニック号を木で作り、炭に焼いて、その上にエメラルドのリングを乗せたディスプレーデザインはボクがもっとも感銘し、未だにこれを超えるものはないと思っています。
またモノクロのイメージに商品だけをカラーにするという広告表現は彼が最初に取り入れ、沢山の賞を受賞しました。
1年もしないで、何で逝っちゃうのかなあ。寂しくて、悲しくて、本当に辛いです。
10月30日にお見舞いに行ったとき、息を呑むという言葉がぴったり当てはまるくらい、やせ衰えていました。シングルプレーヤーの面影は全くありませんでした。それでも、まだ帰るな、もう少しいろよ、と2時間もお話をして、帰りがけに握手を求めてきました。
思いがけず力強い握手に、案外大丈夫かも知れないと思ったのですが、本当は永遠の別れを告げていたのですね。
先輩、それはないですよ。