銀座西五番街を新橋方面に向かって、みゆき通りの手前右手の細長いビルの2階にありました。オーナーでマスターの安藤嘉章さんとママ-安藤さんとどういう関係かは聞きませんでした-、そしてバーテンダーの加賀谷治男さんの3人で店を切り盛りしていました。加賀谷さんの他に助手のバーテンダーがいて何人か入れ替わりましたが、最終的には加賀谷さんだけが最後までつとめました。
1950年に伊勢佐木町に店を出し、銀座には1962年頃に出店したと聞いた記憶があります。オリジナルの陶器のビールジョッキに出店の年号がありました。
細い階段を上がりずっしりとした扉を開けて店に入ると、右手に向かってカウンターがのび、左がカウンターで右側にお客が座るようになっていました。お客の背中側にジュークボックスがあり、100円で3曲選べるようになっていました。途中からレコードに代わってCDとなりましたが、相変わらずジュークボックスタイプで、お客が入れ替わり立ち替わり選曲していました。ジュークボックスの音はかつての電蓄に通ずるものがあり、オーセンティックなバーには相応しいものでした。天井のいたるところにウイスキーのラベルや販促用のトレイが貼り付けてあり、オーセンティックではありますが、なかなか不思議な空間ではありました。
店名の通り、オーシャンが中心ではありましたが、とにかく色々なお酒がありました。また値段も大変リーズナブルで、新入社員の頃からよく通い勉強させて頂きました。何しろ会社から歩いて5分ですから。足繁く通ううちに店の特徴といいますか、ある種の「くせ」も分かるようになりました。その「くせ」を知らないとちょっとツラい思いをするお客もいました。例えば巨人戦のナイター中継が始まると、安藤さんはカウンターの下にある小型テレビを観ているので仕事をしません。もちろん音声はOFFになっているのですが常連のお客はとうにご承知で、安藤さんにおかわりを頼みません。ところがたまにトーシローがいて、おそらく佳境に入っているせいか、安藤さんの目がお客には見えないモニターに釘付けになっている時に
「すいません、水割りもう一杯」
と頼むお客がいたのです。安藤さんは無視するか、お客を睨みつけ、ママも加賀谷さんも聞いていないふりです。迫力ある睨みで大抵のお客は、優しそうな加賀谷さんに頼むことになります。もしもう一度安藤さんに頼むと、ママが注文を受けてくれますが値段は分かりません。なにしろ水商売ですから。
安藤さんがナイター観戦中で、ママも加賀谷さんも離れたところにいるときはテクニックがいるのです。
「ジャイアンツ、勝ってます?」
と小さい声で聞くのです。「5対4」とか教えてくれ、グラスが空いている場合は加賀谷さんに目配せをするのです。常連はナイターに入り込んでいる安藤さんに注文しない、というのを体験的に知っていました。
コマーシャルだなと思えた時は「最近乗ってないんですか?」とバイクに話を振ります。何しろ日本ハーレーダビッドソン協会の会長、名誉会長をしていたのですからすぐに乗ってきました。そういう時は少年のような目でしたね。
あるとき席が3つ空いていて、4人連れが入ってきました。
「あいすいません。今満席なんです」
と言うママに対して、3人だけ座って、ひとりは入り口で待っていると言ったのです。
「お待ちになると他のお客様が気を使いますので、申し訳ありませんがまたおいで下さい。うちはそういう店ではありませんので」
と毒気たっぷりに返したのです。「そういう店」というのはクライスラーの前の露地を入って右に折れたおところにあるルパンのことです。
あるときルパンに入ろうと階段を下りていったら、左側に客が結構並んでいました。てっきり勘定してる人を待っているのかと思ったら、入るのに並んでいたのです。
バーに並ぶなよ!とカチンときたのと、並ばせて喜んでいたママに比べたらクライスラーのママはエライ!と思った次第です。
クライスラーは2007年にビルの建て替えで閉店しました。加賀谷さんはその後8丁目金春通りの昌栄ビルの路地裏に「a day」という店を出しましたが、ビルの耐震工事で立ち退きを余儀なくされ、その後の消息は不明です。伊勢佐木町(新富町)の本店はまだありますが、銀座のような緊張感もなく、こちらは間違いなくオーセンティック・バーです。もっとも地域的には緊張感がある場所になってしまいましたが。