銀座3丁目の、現在のマロニエ通りに面したビルです。
ボクが銀座勤めを始めた頃はまだ古いビルで、大成建設が入っていました。
このビルに大学のサークル仲間の、通称ジロ子さんがいました。本名は坂上敬子さんなのですが、コント55号の二郎さんが女役をやるときは「ジロ子」と言っていたので、苗字の坂上からジロ子がニックネームになりました。同じ銀座ということもあり時々遊びに行くうちに彼女のともだちや受付の女性たちとも仲良くなり、ボクがいた会社の商品を買ってもらったりしました。
入り口の階段を上がって受付に行くと、受付の前川京子さんが「こんにちは~」と親しみを込めて挨拶をしてくれました。何となく嬉しかったですね。
その後、このビルは建て替えとなり、2丁目の大倉商事が移ってきました。そしてボクがいた会社の本店ビルの地下に入っていた「銀座レカン」のコンフェクショナリー部門が1階と地下に入りました。1階が物販で、地下が喫茶という構成です。そんな縁で3丁目のレカンはよく利用させてもらいました。
ところがある日、この大倉商事がロックアウトされ、出社してきた社員が中に入れず付近の路上にあふれる事態が起こりました。大倉商事が倒産したのです。
その頃ボクはプランタンの並木通りを挟んだ斜向かいの、築35年の新館ビル(笑)にいまして、デスクのある5階の窓からその様子がよく見えました。事情が分からない社員たちは携帯で電話しながらビルの周りをウロウロするばかりです。そしてニュース速報で事情を知った社員たちは肩を落として去って行きました。同じサラリーマンとして切ない気持ちになったのを覚えています。
ところが午後まで去らない人たちもいました。債権者たちです。後日、レカンの運営会社、セーキの矢野社長に聞いたところ、債権者の一部がレカンの地下に何時間も陣取って商売にならなかったそうです。殺気立っていたので店の女性従業員ではどうにもならなかったと言っていました。
大倉商事のような会社でも潰れるんだ……
何だかとても重たい現実を目の当たりにしました。
ところでその新館ビルのマロニエ通りを挟んだ向かいに「東邦生命ビル(その後エジソン生命ビル)」がありました。昭和6年に建てられたこのビルは、正面にコリント様式を取り入れた重厚なビルで戦災を免れた文化財的に残すべきビルでした。あるときから周囲に高い囲いが巡らされました。当時は耐震補修が盛んに行われていた時期でもあり、てっきりその類いの工事かと思っていたら実は解体作業でした。解体への批判封じのための目隠しだったのは明らかです。
確かに旧大倉別館ビルも東邦生命ビルも使いやすいビルではありませんでしたが、バリアフリーを含む内装はどうにでもなったと思うのですがね。
あのファーサードの数段の階段を上がるだけで気分が高揚するような気がします。大成建設の頃は別の意味でも高揚していましたが。。。。
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